ザ・グレンリヴェット、スコッチの父!

スポンサーリンク

ああウイスキー! 遊びと悪戯の命!
詩人の心からの感謝を受けてくれ!  (中村為治訳 「R・バーンズ詩集」岩波文庫)

ザ・グレンリヴェット(The Glenlivet) スコッチの父!

——————————————————————————–
ペルノ・リカールが用意したキャッチフレーズが、
「すべてのシングルモルトの父、その歴史がスコッチの歴史」
というものだった。それゆえ、ブランドの戦略上、
「すべてのシングルモルトは、ここからはじまった」
と主張する。

1822年、イギリス国王ジョージ4世がエジンバラの外港・リースに降り立ち、もちろんまだ密造酒であったグレンリベットを所望したといわれる。


アッパー・ドラミン農場に、蒸溜所を創業した密造ウィスキーの職人ジョージ・スミスは、前年23年に施行された物品税法にしたがって、ライセンスを取得した政府公認第1号の蒸溜所となった。それが、1824年のこと。そのため、密造酒仲間からは、裏切り者と揶揄され、命まで狙われるようになった。そのため、ピストル2丁をつねに携帯していた。

そもそも密造酒づくりは、当時のイングランド政府に対する反骨精神から生まれたものだ。それに、ことスペイサイドでは、民族の誇りをもかけていたのだ。

スミスのつくるウイスキーの品質の高さは、ウイスキーづくりが違法であった時代から、すでに英国中で評判になっていた。密造酒時代を終わらせたい政府にとって、スミスはキーになる人物だったのである。

長年にわたって、皮肉をもこめながら、
「スコットランドで一番長い渓谷(グレン)」
と称された。というのも、すでにグレンリヴェットの名は有名で、多くの蒸留所がグレンリベットの名声にあやかろうと、勝手にグレンリヴェットを名乗ったり、そのスタイルを模倣したりするなどした。

そしてついに、1880年、2代目ジョン・ゴードンが訴えた。1884年、裁判において、グレンリヴェットの高い品質が公認され、正当なウィスキーはただ一つであるという法的判断が与えられている。

そう、当時の所有者であったジョージ・スミスのグレンリヴェットだけが、定冠詞「THE」をつけて、ザ・グレンリヴェットと名乗ることが許されたわけだ。

ザ・グレンリヴェット蒸留所は地元の丘陵、ブレイズ・オブ・グレンリヴェットの斜面にあって、標高270メートル以上の山深い場所に位置し、年間を通して一定の気温と湿度が保たれ、良質な水と、豊富なピートに恵まれたウイスキーづくりには欠かせない自然環境を備えている。

マザー・ウォーターは、蒸留所後方から湧きでる「ジョージーの湧水」を使用。これは、地下約200mの水脈を源泉とし、水温は年間5~8℃と一定しているという。

ミネラル分に富む硬水で、特有の香気成分を形成し、このリッチなミネラル分により糖化過程において大麦から多くの糖分を抽出させる。その密度の高い糖分は、発酵段階において独特で芳醇なフレーバーを生み出す。そしてまた、ボディがしっかりしているという理由にもなろう。

発酵漕はというと、オレゴン松製が8基。ポットスチル(蒸留器)は胴体とパイプ部分にくびれがあるランタンヘッド型で、初溜釜4基、再溜釜4基の合計8基。

独特な形状としてネックが細長く、釜の幅が広くなっている。ネックが細長い構造は、雑味のある比重の重い蒸気はポット・スチルの最上部まで上昇することができず、ピュアで比重の軽い蒸気だけが上昇、抽出される。幅の広い釜は蒸留中にアロマ同士の相互作用を促し、甘く豊かなフレーバーを生み出すことになる。大麦の味わいと、蜂蜜様の風味がミックスしたバランスの良さが特徴。

原酒の熟成には、さまざまなタイプのオーク樽が使用される。熟成はその3分の1をシェリー樽、もう3分の1をバーボン樽、残りをプレーンカスクでおこなっている。特徴としては、シェリー樽の使用比率が低く、バーボン樽の使用比率が高くなっていることか。

ピュアでクリーンな味わいと原料の風味を損なうことのないよう、風味や色のつきやすいシェリー樽の使用量を抑えている。

もうひとつの特徴としては、フランスのリムーザン・オーク樽を使用していることだ。少しずつゆっくりと、樽材の持つ香気成分や風味を原酒が抽出するまで待ち、エレガントで繊細な味わいのウイスキーが生まれるのだ。



1858年に蒸溜所が火事で失われた後、リヴェット谷ではなく、近くのより高いところ、標高335メートルの地に蒸留所を移転、建設した。

そこはリヴェット川と、エイボン川の合流点、ゴードン公爵から購入したミンモアの町だ。「グレンリベット(静かなる谷=リヴェット川の流れる谷)」ではなく、「グレンリヴェットを見下ろす丘」に建っている。

それ以前は、アッパードラミン、ケアンゴルム、ミンモア蒸留所などいくつかの蒸溜所を総称して、スミスのグレンリヴェットと呼んでいた。

創業時から変わらぬ伝統の製法、選び抜かれた原材料とともに、200年と変わらぬマザー・ウォーター、そして熟練した職人たち、どれ一つ欠けても「ザ・グレンリヴェット」は生み出されない。

「販売量が多いところから、平凡なウィスキーと思われているかもしれないが、実際は質感に富み複雑さがあるウイスキーである」
と、マイケル・ジャクソンは述べている。花のよう、リンゴのような、と表現され、フルーティでライト。ピュアでクリーン、エレガントで繊細な味わい。

1953年にザ・グレンリヴェットは、グレン・グラントのJ&Jグラントと、その後1970年にはロングモーン・グレンリヴェット・ディスティラーズと合併した。拡大したグレンリベットの企業グループは、1977年にシーグラムに買収されたが、2001年、シーグラム社の酒類部門売却にともない、現在は、ペルノー・リカール傘下の蒸溜所となっている。

その品質の高さは、近年の受賞歴が物語る。イギリスで毎年開催される国際的に権威のある種類コンペティション「インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ2008」では、「ザ・グレンリヴェット18年」と「ザ・グレンリヴェット25年」が、ゴールドメダルをダブル受賞。

さらに、「ザ・グレンリヴェット18年」は、「第8回サンフランシスコ ワールド スピリッツ コンペティション」でも最高賞のダブルゴールドを受賞するなど、数々の国際的な品評会で表彰されており、いかにプロフェッショナルの評価が高いかうかがい知ることができる。

※参考図書 「スコッチウイスキー紀行」;著者:土屋 守、刊行:東京書籍。

♪ ブリテン卿 『シンプル・シンフォニー』(ブリテン指揮/ イギリス室内管弦楽団) ♪

スリリングなほどの知的な単純さは紛れもなく天才の手になるものだ。かれが弱冠20歳で書き上げた初期の代表作。シンプルでいて、精巧な仕上げには心を打たれる名作である。

この曲のメロディーのもとは、彼が9~12歳の間に作曲されたピアノ曲、および歌にあり、それらを弦楽合奏曲という形で、再度まとめたもの。室内オーケストラによって取り上げられる機会の多い曲でもある。

4楽章すべてに、気のきいたタイトルがついていて、

1st Mov.:Boisterous Bourree「騒がしいブーレ」
2nd Mov.:Playful Pizzicato「おどけたピッツカート」
3rd Mov.:Sentimental Saraband「感傷的なサラバンド」
4th Mov.:Frolicsome Finale 「陽気なフィナーレ」

すべての曲にユーモアが溢れている。どの楽章も非常にシンプルであり、楽しく、かつ美しいメロディに満ちている。とりわけ、第3楽章の「感傷的なサラバンド」は、第1ヴァイオリンが奏でる主題は美しく、はかない気持ちを抱かせ、メランコリックで、センチメンタルな楽章である。

かれはまた、自作曲のみならず、それ以外の作品を指揮するなど、指揮者としても、またピアニストとしても優れた腕の持ち主でもあった。