新生ベネディクティン

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新生ベネディクティン

Bénédictine

寝る前、睡眠を促すために飲むお酒のことを「寝酒」、あるいは「ナイト・キャップ」という。寝酒に適したカクテルを「ナイト・キャップ・カクテル」という。ナイト・キャップとは本来、眠るときにかぶる帽子のこと。甘く芳醇な味わいのブランデーや、ウイスキーを使ったカクテルが好まれるようだ。

その一つ『B&B』は、ブランデーとベネディクティンを合わせただけのシンプルなカクテルだ。カクテル名のB&Bは、ブランデーの「B」と、ベネディクティンの「B」からきている。たとえば、ベースとなるブランデーは『レミーマルタン VSOP』、ブランデーベースのリキュールである『ベネディクティン DOM』と、こんな具合で決めてみよう。1920年代にアメリカで流行して以降、ベネディクティンを使った代表的なカクテルとして知られている。カクテル言葉は、「激しい恋」。

ブランデーとベネディクティンは、1:1で割るのが基本レシピ。

1)大きめの氷を入れたグラスに、ベネディクティンを入れる。
2)ブランデーを静かに注いだら、完成なのだが、
マドラーで、軽く混ぜてもいい。ステアし、細かい層をつくるわけだ。ブランデーと、リキュールの層が残る程度にとどめるのがポイント。

本来は、『プース・カフェ』と呼ばれる一つでもあって、数種類のスピリッツやリキュールを、比重の大きい順に積み重ねて生まれた層を楽しみながら飲むカクテルである。ブランデーの濃厚なフルーティーさと、リキュールのハーバルな甘みが絶妙に溶け合い、スッキリとした後味を演出。度数は高いが、口当たりがやわらかく、芳醇な味わいを楽しむことができる。そのまま一気に飲み、口の中でゆっくりと混ぜ合わせて飲むスタイルが一般的だ。

ベネディクティン(仏:Bénédictine)だが、フランスを代表する黄緑色のハーブ・薬草系リキュールだ。アルコール分は、40%。1863年にアレクサンドル・ル・グランが商品化したものだが、その原形となったのは、中世ヨーロッパの錬金術師が編み出した長寿のための秘薬酒であったのだ。レシピが現存する最古のリキュールといわれている。

原料や、製法は企業秘密とされているが、世界中より厳選された27種類ものハーブとスパイス、よろい草の根、ジュニパー・ベリー、西洋山ハッカ、アンゼリカ、シナモンなどなどを独自にブレンドしているという。

公になっている製法はというと、それらを4つのグループに分け、1つのグループはアルコールと水に15時間浸漬、残りの3つのグループは3ヶ月間水に浸漬した後に、銅製ポットスチルで蒸留。大きさやトップの形状が異なるものが、20基近くもある。3ヶ月間熟成させてから、ブレンド。オーク樽で、さらに8ヶ月熟成させる。この原酒にカラメル、サフラン、蜂蜜、シロップ、コニャックを加え、55度で2回加熱。最後に甘みを加えて味を調えて、オーク樽で4ヶ月熟成。その後、ろ過され、じつに2年にもおよぶ歳月をかけ、製品となる。

12世紀、イスラム地域からヨーロッパへと伝わった錬金術は、金以外の物質を黄金に変える力を持つ賢者の石、人間に不老長寿をもたらす薬である霊薬を生み出すことだった。異端あつかいされていたにもかかわらず、各地のキリスト教修道院では、勉学や薬づくりの一環として、ひそかに錬金術の研究がおこなわれていた。

とりわけ、ノルマンディー地方のベネディクティン派のイタリア人修道院の修道士たちは、蒸留や植物の研究に熱心であった。ベネディクティンのもとになったレシピを書き残したドン・ベルナルド・バンセリは、その中のひとりだった。

かれは、錬金術師でもあった古代の神人ヘルメス・トリスメギストスが記したとされるヘルメス文書に基づく古代思想のエキスパートであった。1505年にイタリアのモンテ・カッシーノからフランスの港町フェカンへやってきた後、1510年に多種のハーブを調合して霊薬を生み出した。

かれのつくった霊薬の噂は修道院の外に広がり、当時のフランス国王だったフランソワ1世がフェカンを訪れて、これを味わった際に、
「こんなに美味しいものを今まで飲んだことがない」
と叫んだという。しかし、1787年よりはじまったフランス革命により、1791年に修道院の財産とともに、レシピは国に没収されることになった。

その約70年後の1863年に、同地フェカンのワイン商人であり、美術コレクターでもあったアレクサンドル・ル・グランが、バンセリが1510年に書いたとされる薬酒のレシピを発見。

ブラックレターで書かれた200ページほどの書物で、古代思想であるヘルマン主義と錬金術の研究について扱っており、万能霊薬を生み出す賢者の石についての記述を含んでいた。ル・グラン家には祖父の時代に、1787年よりはじまったフランス革命の際に、弾圧を受けて逃げることとなったフェカン修道院から買い取ったか、譲り受けたかと思われる多くの書物が保管されていた。

かれは、試行錯誤の末に、この本に書かれていた霊薬の再現に成功。そして、修道院にちなんで「ベネディクティン(Bénédictine)」という名前のリキュールとして売り出すために、ローマのベネディクト会からこの名前と、フェカン修道院の紋章を使用する権利を取得。



新生『ベネディクティン』はここに、たしかに薬酒として誕生した。それはまた、ル・グランの成功物語でもあった。商売っ気のさかんなかれは、オリジナルなデザインのボトルとラベルまでを特注して、ベネディクティンの生産を開始。ミュシャなどの有名アーティストたちと提携し、宣伝のためのポスターだけでなく、マッチ箱、灰皿などさまざまなノベルティ・グッズをつくって配布した。こういった宣伝手法は、当時としては先進的なものだった。

発売から10年後には、年間15万ボトルも売り上げるほどの大成功を収めた。1876年にはベネディクティン社(Bénédictine S.A.)を設立して、1882年に株式を上場し、年間100万本の増産を可能にするために新しい蒸溜所を開設した。ちょうどフランスではブドウの木の害虫が蔓延して、ワインと、ブランデーの供給が激減した時期であり、ワイン商であるかれはこのタイミングを商機と見てとった。

さらには、フェカンの町にベネディクティンの蒸溜所と美術館を兼ねるベネディクティン宮殿を建築することを思い浮かべた。1892年に火災で壊滅的な状態となってしまうが、さいわいなことに被害をのがれた蒸溜所でベネディクティンの製造は続けられていた。その後、宮殿の再建がはじまったが、残念なことに完成したのは、かれの死後のことだった。

このパレ・ベネディクティーヌは、新ルネサンス様式の荘厳な建物である。ベネディクティンの歴史を描いた大きなステンドグラス窓があり、数百種類ものベネディクティンの偽造品など、ベネディクティンにまつわるさまざまな展示物。それだけではなく、ルネサンス期の美術品のコレクションをも飾られており、ベネディクティンの文化発信の拠点となった。

カクテルブームが起きた1920年代に、アメリカでベネディクティンとブランデーを混ぜたカクテルの「B&B」が流行り、ベネディクティン社は1937年に「B&B」を製品化した。1988年にマルティーニ・エ・ロッシに買収され、さらに1992年にラム酒で有名なバカルディ社に買収され、ついでバカルディ・マルティーニ社のブランドとなっている。

ベネディクティンのボトルには「DOM(ドム)」と書かれたラベルが貼られているが、DOMとはラテン語の「Deo Optimo Maximo(ディオ・オプティモ・マキシモ)」の略で、「至善至高の神へ」という意味。これは、ベネディクト修道会の書物の冒頭に献辞として、よく書かれる祈りの言葉でもある。

■■飲酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。お酒は楽しくほどほどに。

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