アイル・オブ・ジュラ

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アイル・オブ・ジュラ(Isle of Jura)

「アイラを訪れて、ジュラに渡らない人はいない」
と、マイケル・ジャクソンは、著書・「モルトウィスキー・コンパニオン」の冒頭で述べ、ついで、
「アイラのウィスキーには非常に主張が強いものがあるのに対して、ジュラは繊細である。しかし、熟成年数とともに力を得る」
と書いている。

ジュラ島は南北に細長く、潮流の荒い狭い海峡をはさみ、アイラ島に隣接する小さな島だ。スコットランドの西岸に連なる列島「ヘブリディーズ諸島」の内側、インナー・ヘブリディーズ諸島を構成する島の一つ。

島民180人に対し、赤鹿5,600頭が生息する。狩猟解禁日ともなると、ドイツやアメリカからハンターが殺到するという。ジュラとは、ヴァイキングの言葉で「鹿の島」を意味する。かのジョージ・オーウェルが、ディストピアSF小説「1984」を執筆した島としても有名だ。かれは結核療養のため健康的で平和な場所を求めて、この島にやってきたのだ。1947年のことだ。

さて、ジュラ島には蒸溜所は一つしかない。それが、クレイグハウス村の中心地に位置するアイル・オブ・ジュラ蒸溜所である。喧騒のない静寂のなかにある。1810年、島の所有者であるアーチボルト・キャンベルによって、「small isle distillery」として設立。創業は、その1810年だが、ご多分にもれず地代のことで地主ともめたり、身売り、ライセンス譲渡などを繰り返して1901年に完全に解体されてしまった。それから、およそ50年間は閉鎖されたままであったようだ。

密造の歴史は、もっと古い。1502年にはすでに密造酒をつくっていたという記録が残っている。現蒸溜所がオープンしたのは、1963年のこと。2人の地主が、建築家やチャールズ・マッキンリー社などの後ろ盾で、島民の雇用を確保する目的で建てられた。1970年代に再度拡張。2,3の建物は蒸溜所の初期にまでさかのぼることができるという。優雅なたたずまいの蒸溜所だ。

かつてはインバーゴートンの系列だったが、1995年ホワイト・アンド・マッカイ社が買収。それも、2007年からはインドのUBグループ傘下になった。パッとしないジュラのモルトが転換期を迎えたのが、1999年のこと。カスクの品質が、通年に比べてこの年は劣悪だったのが発覚したのだ。ブレンダーのアンダーソンによって、たしかなファーストフィルのバーボンカスクに移し替えた。それが、大成功。平凡な品質のモルトが、一気にプレミアムと化したのだ。

麦芽は本土から仕入れている。が、それには、ビートは炊き込まれていない。というのも、再建時アイラモルトと区別するため、ノンビート麦芽の使用を決めたからだ。ただし、現在は7〜8月にかけて1ヶ月だけ、フェノール値55ppmのヘビリービテッド麦芽を仕込んではいる。

仕込み水は背後の丘の上にある、かなりビート色の濃いマーケット・ロッホの水(マーケット湖)を使用。6基あるウォッシュバックはステンレス製で、容量は4万9000リットル。54時間もかけて発酵させている。また、それまで2基あったポットスチルを4基に増設。ユニークな点は、その4基あるランタンヘッド型のポットスチルのあまりの巨大さだ。床からの高さが、およそ8メートルもの高さがある。

熟成に使用するのはバーボンやシェリー樽のほかに、ボルドーなどのワイン樽をも利用。追熟や、ヴァッティングをもおこなっている。

「アイル・オブ・ジュラ 10年」;スタンダード。ライトで、飲みやすい。フレッシュな甘みとともに、蒸留所のハウススタイルを感じさせる。以前はオイリーなテクスチャであったが、リニューアル後はすっきりとした爽快感で、クセが抜け、クリアになった。独特のピートが強いお隣のアイラモルトに比べ、甘くてフルーティな香りがメインで。ストレートや、トゥワイスアップで。

「アイル・オブ・ジュラ 12年」;以前よりも少しスリムなボトルに。熟成感があり、バランスの取れたウイスキー。余韻は、ミディアムロング。ジュラらしいライトでクリーンな酒質に、少し古酒感を感じさせる厚みがある。

■■飲酒は20歳になってから。飲酒運転は法律で禁止されています。お酒は楽しくほどほどに。